雨降る日も 空が澄み渡る日も
君に あなたに
会いたいと
数日前に入梅した。
じめじめとした湿度の高い空気が、いつになく菊丸を憂鬱にしていた。
「ったく、もう。雨降ってたら、コートで練習できないじゃん!」
机にあごを乗せたままの格好で、雨空を見つめながら文句をぶつける。
「珍しく不機嫌だね、英二。」
前に座っていた不二が、その声に反応した。
「だってさ、不二。俺たち、もう3年じゃん。そりゃ、テニスは高校生になったって、何歳になったってできるけどさぁ。この青春学園中等部のテニス部としてテニスができるのは今だけじゃんか。そう思うと、一日でも一時間でもテニスする時間が減ると、なんか悔しくて。
…こんなこと考えるの、俺らしくないかな。」
「別にそんなことはないけど…。」
少し、いつもと違う菊丸の表情に気付きつつ、いつもと変わらない微笑みで不二は答えた。
元気いっぱいで、クラスでも部活でもムードメーカーの菊丸。
そんな彼の表情を曇らすものは何なのか。
今日のコート練習ができなくなったことだけではない気がする。
菊丸は再び雨空を見つめ、小さな溜息を吐いた。
「英二。何か悩みがあるんじゃない?」
不二の問いに、菊丸は少し驚いた顔を向けた。
「悩み…なのかな、これ。」
独り言のように呟いた後、「うーん、うーん」と唸りながら腕組みをしている。
不二はそんな菊丸を不思議そうに見つめた。
とりあえず、菊丸の答えを待つ。
「…うん!そうかも。俺、悩んでるみたい!」
何故か、晴れやかな声と表情で答えを出した菊丸。
まるで、悩みが解決したかのようである。
「悩んでる割には、晴れ晴れとした顔だね。」
少し笑みを零しながら、不二が言う。
「まあね。悩んでるってことが分かったのが嬉しいっていうか。悩んでるんだって気付けば、その悩みを解決すればいいだけじゃん?
最近、不意に憂鬱になることがあって、その原因が全然見つからなくてさ。正直どうしたらいいか分からなかったんだ。助かったよ、不二。」
そう言うと菊丸は、にこっといつもの笑顔を見せた。
やはり、菊丸には笑っている顔が似合うと感じた不二だった。
「それで、その悩みが何かは分かったの?」
「分かったよ。俺、のことが好きみたい。」
「………え?」
菊丸の答えは、あの不二の動きを一瞬止めた。
それ程、不二にとっては意外な答えだった。
改めて菊丸を見つめると、不思議そうな顔をしている。
「不二? どうかした?」
「ああ、ごめん。何でもないよ。さんってどんな子なのかな、と思ってさ。」
「そっか。不二は同じクラスになったことないんだっけ。でも、見たことあると思うよ。
大石の幼馴染で、時々コートの近くで練習見てることあるから。」
「へぇ。大石の幼馴染か…。ああ、何回か大石と話してるの見かけたかも。
少し長めの黒髪を二つ結びにしてる子だろ?」
「そうそう、その子。俺、よく大石の家に遊びに行くから、家の近くで擦れ違う時に挨拶とかしてたら、何となく仲良くなってたんだ。1年の時は同じクラスだったし。」
「僕はてっきり、あの子は大石の彼女だと思ってたよ。」
想い人の説明をする菊丸に、不二の言葉が突き刺さる。
しかし、不二には全く悪気がなかったようで、菊丸のダメージに気付いていなかった。
「流石、不二……、痛い所突いてくるじゃん…。」
そう言って項垂れた菊丸を見て、不二は謝罪の言葉を述べた。
「ごめん! 英二。」
「いいよ、いいよ。あの二人見てたら、そう思うのも当たり前だし。実際、俺もそうだと思ってたしね。」
不二の言葉に笑ってそう答えると、一つ息を吐いてまた少し憂い顔になった。
今日の菊丸は、いつもと違う顔をよく見せる。
「まだのことを好きになる前、大石に尋ねてみたことがあるんだ。『って、大石の彼女?』って。
そしたら、普通に否定してた。やっぱり、一時期好きになったことはあるらしいんだけど、女の子としての好きじゃないなって気付いたらしいんだ。」
「そうなんだ。じゃあ、別に悩むような障害はないんじゃない?」
「そういう意味での障害はないんだけどさ…。」
「?」
不二には、菊丸が障害だと感じているものが何なのか、見えてこなかった。
菊丸は頬杖をつくと、雨が降り続く窓の外に目を向ける。
つられて、不二も窓の外へと視線を移した。
すると、菊丸が口を開く。
「雨、止まないよなぁ。」
突然の話題転換だったが、その言葉に応える不二。
「まあ、梅雨だからね。仕方ないよ。」
「だよなぁ、…はぁ。雨が降ってちゃ、に会えないってのに。」
「……あ、それが障害?」
「そう。」
先程の発言は話題転換ではなく、ちゃんと続いたものだった。
そこには納得しつつ、不二は疑問を口にした。
「でも、大石の家に遊びに行ったら会える可能性高いんじゃなかったっけ?」
「うんにゃ。最近は、テニス部のコートにはよく来るけど、大石の家の近くで会えることは少なくなってんの。」
「へぇ、何でだろ?」
「さあ、俺には分かんない。けど、そういう状況だから、部活がないとに会えないからさ…。
雨の多い今の時季が憂うつなんだよ〜。もちろん、テニスができないのも単純に嫌なんだけど。
それだけじゃないから、余計に嫌!」
菊丸の機嫌が悪かったのはそのせいか、と納得した不二は、菊丸に尋ねてみた。
「ねぇ、英二。さんに告白しないの?」
「告…白……?」
「そう、告白。もし付き合えたら、機会を待たなくても自由に会えるでしょ?」
不二の言葉に、菊丸は本日二度目の腕組みをした。
またも、「うーん、うーん」と唸っている。
そこへ、更に言葉を投げかける不二。
「英二は、さんとどうなりたいんだい?」
「分かんにゃい。」
「分かんないって…。」
即答した菊丸に、不二は頭を抱えた。
「だって、分かんないものは分かんない!」
そう言って立ち上がった菊丸が、教室を出て行こうとする。
不二は思わず呼び止めた。
「英二!」
その声に足を止めると、菊丸はゆっくりと振り返った。
怒っているわけではないようだ。
「話聞いてくれてありがと、不二。ちょっと頭の整理できたよ。
どうするか、ゆっくり考えてみる。」
「そっか。答えが出せるといいね。」
不二の言葉に菊丸は笑顔で応え、歩き出す。
それはいつもの、弾けるような笑顔だった。
***
教室を出た菊丸は、屋上へと続く階段に独り腰かけ、正面に見える廊下の窓を見つめた。
窓には雨粒がひっきりなしに打ちつける。
「よっし!」
顔を両手で「パンッ!」と一度叩いて気合を入れると、すっくと立ち上がった。
目指すは3年1組の教室。
愛しの君がいる場所だ。
***
開け放たれた扉から顔を覗かせ、教室の中を見回す菊丸。
昼休みの教室は、喧騒に包まれていた。
ところが、見つけたのは同じテニス部で部長の手塚だけ。
手塚には悪いが、今探している相手ではないので用無しだ。
「どこ行ったんだろ…。」
小さく呟いて他を当たろうと体を反転させた瞬間。
「あっ!」
菊丸の顔の下辺りで小さな声が聞こえ、人とぶつかりかけたことに気付く。
「ごめんっ! 大丈夫…」
謝りながらその相手の顔を見ると、愛しの君── だった。
偶然に驚き、思わず言葉が途中で切れた菊丸に、は笑顔を向けた。
「うん、大丈夫。ぶつかってないから。」
の言葉で動きを取り戻した菊丸は、改めて謝る。
「本当に大丈夫だった? 俺、周り見てなくて…、本当ごめん!」
「あはは、本当に大丈夫だって。じゃあ、」
「あっ、。」
「ん?」
そのまま教室に入ろうとするを引き留める菊丸。
は菊丸を見ながら、彼の言葉を待った。
「あ、のさ。ちょっと話したいことがあるんだけど、今いいかな。」
「……うん。」
は一度俯き、すぐに顔を上げて答えた。
菊丸には一瞬、の頬が赤くなったように見えたが、再び顔を上げた時にはいつもと変わりなかった。
様々な考えが頭の中に浮かんだが、いくら考えたって仕方がない。
今、自分がするべきことは、に伝えたいことを伝えることだと思い直した。
***
教室前の廊下の窓辺に、二人で並ぶ。
窓の外は相変わらずの雨模様で、少し煙(けぶ)っていた。
そんな風景を二人で眺めながら、菊丸は話し出した。
「はさ、最近放課後は何してるの?」
「放課後…? うーん、図書室で本を読んだり、友達としゃべったり…かな。
大抵は真っ直ぐ家に帰っちゃうけど。」
最後の方は少し笑いながら、は答えた。
「そっかぁ。」
「菊丸くんはテニスの練習できなくて大変だね。」
「そうなんだよー! もー、この時季は雨ばっかでなかなかコートで打てなくってさ。
校舎内で筋トレとか素振りとかはできるんだけどなー。やっぱ物足りない!」
菊丸の言葉を聞いたが、小さな笑みを零す。
「やっぱり菊丸くんもそうなんだ。
この前、秀一郎くんも同じこと言ってたから、『菊丸くんも物足りないって思ってるんだろうなー』
って思ってたの。」
自分のことを考えてくれたというの言葉に嬉しくなりながらも、同じく出てきた大石の名前に少し嫉妬する。
苗字と名前では、やはり差を感じずにはいられない。
「大石と会ったの?」
「うん。3日くらい前かな。久々に帰り道の途中で会って。」
「と大石は家近いもんな。……いいなぁ。」
最後の一言に本音が零れてしまったことに、菊丸は気付かなかった。
しかし、小さな声で呟いたその本音をは受け取り、思わず聞き返す。
「え…?」
「え? 俺、何か言った?」
「あ、えっと…、『いいなぁ』って言ってた…。」
の指摘に、頬が熱くなっていくのを感じる菊丸。
窓の外へと視線を戻し、一度深呼吸をする。
そして───
「あのさ、。
俺、雨の日でもと会いたいんだ。
テニス部のコート練習がない日にも、の姿を見たい。
そして、こうして話がしたい。
は……どう?」
菊丸の言葉を聞いたは、顔が赤くなっていた。
今度は、菊丸も見間違いかどうか疑う余地がなかった。
体は菊丸のほうを向いているのに、視線は合わない。
窓枠に乗せていたの左手に、少し力が込められた。
「あのね、菊丸くん…、」
「何?」
続く言葉を、判決を待つ罪人のような心情で待つ菊丸。
本当にこんな気持ちになるんだ…、と、いつか姉に無理矢理読まされた小説の一行を思い出した。
たまには小説も読んでみるものだと、姉に感謝した菊丸だった。
「私がテニス部のコートで、いつも誰を見てるか知ってる?」
思いがけない質問返しに、菊丸は拍子抜けした。
がいつも見ている相手は……
「…やっぱり、大石?」
正直なところ、が誰を見ているか、練習中は分からない。
テニスには、いつも全力をぶつけているから。
だが、休憩中や練習後にが話しているのは、基本的に大石だ。
菊丸がそこに加わることはあっても、と二人だけで話すことはなかった。
の答えを待つ。
だが、は首を横に振っただけで、口を噤んでしまった。
何かを逡巡しているように右手を顎につけて、軽く俯いている。
やがて、顎から手を離したは口を開いた。
菊丸の目を見て。
「私がいつも見てたのは、菊丸くんだよ。」
菊丸は驚きで声が出なかった。
目の前にいるは、真剣な瞳で菊丸を見ている。
(本当なんだ…)
その真剣な瞳からは、の素直な気持ちが伝わってくるようだった。
照れて視線を外してしまっても当然の状況にもかかわらず、菊丸はその瞳を見つめ返していた。
むしろ、視線を外すことが出来なかったと言う方が正しい。
「だから、私も、雨の日でも菊丸くんと話したいって、ずっと思ってた。
これからは、雨の日も晴れの日も、いろんなこと話そう?」
そう言って笑顔を向けるに、菊丸は言葉を返せなかった。
代わりに、笑顔を返す。
いつもの弾けるような、幸せいっぱいの笑顔を。
「あ。」
「何?」
菊丸が何かに気付いて窓の外を見上げると、それにつられても見上げる。
二人の視界に映ったのは。
「「虹。」」
重なった声に顔を見合わせた二人は、小さく笑って、また空を見た。
虹はまだしばらく消えそうにない。
fin.
2010.7.16
(最終稿:2012.6.6)
背景素材:Crambon*様
(拡大加工、コントラスト調整加工を施させていただきました。原画確認はCrambon*様へ。)
―――――あとがき―――――
約2年かけて、やっと完成させることができました。長かった…。
そして、不二さんとの会話が長くてすみません。
英二の苦悩を描きたくて書き始めた今作品。
苦悩とは言っても、そんなに深刻なものにはしたくなかったし、表面化するのも「相談」とかではなく、自然に話の流れでという形にしたかった。
そんな背景により、3−6コンビである不二さんに活躍していただきました(笑)
実は、タイトルがなかなか決まらず、アップが遅れた作品でもあります。
散々悩んで、案を10個程考えた末に決定したのが『梅天煙雨(ばいてんえんう)に架ける橋』です。
なんか、遙かのキャラソンタイトルっぽいと感じるのは私だけでしょうか(笑)
もっと一般的な普通っぽいタイトル案もあったのですがねぇ。
ちなみに、「梅天煙雨」は四字熟語ではなく、二字熟語を勝手にくっつけました。
「梅天」→梅雨空のこと。「煙雨」→煙るように降る雨。
梅雨の憂鬱さを少しでも晴らすことができたら嬉しいです。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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