君へ届いた この香り
甘い香りを 君と一緒に
あれから、朝の教室での他愛ない会話が日課のようになっていた。
いつも不二くんが先に来ていて、誰もいない教室の窓際の席に座っている。
窓の方へ顔を向けて。
その空間を壊すのが忍びなくて、私はなかなか教室に入れない。
けれど、不二くんはそんな私の気配にすぐに気付いて、声をかけてくれる。
「さん、おはよう。今日も早いね。」
その言葉で、一歩を踏み出す勇気がわく。
「おはよう。」
私も笑顔で挨拶を返しながら教室へ入り、自分の席へと向かう。
開け放たれた窓から風が吹き込み、その風に乗って金木犀の甘い香りが届いてきた。
その香りにつられて窓の方を見ると、不二くんと目が合った。
見られていたのだと思うと、俄かに頬が熱くなる気がした。
笑顔の不二くんにぎこちない笑顔を返しながら、自分の席につく。
その間、少しずつ鼓動が速くなるのを感じていた。
「金木犀って、けっこう長く咲いてるんだね。」
「うん、去年は遅く来た台風のせいで早く散っちゃったけど、今年は天気がいいから。
って言っても、私もどのくらいの間咲いてるかは、よく分からないんだけどね。」
速度をあげた鼓動を隠し、出来るだけ平静を装って答えた。
鋭い不二くんには気付かれちゃったかもしれないけれど。
「そうなんだ。去年は気にしてなかったから、知らなかったな。」
不二くんはそう言いながら、窓の方へと顔を戻した。
少し冷たい風が、さわさわと彼の髪を揺らしている。
その姿に見惚れていると、また金木犀の甘い香りが教室内に広がった。
「さんもこっちに来なよ。風が気持ちいいよ。」
急に振り返った不二くんに誘われ、突然のことに動揺して思わず頷いてしまった。
彼の傍でいつも通りに振る舞えるか不安だったけれど、頷いた手前、行かないわけにもいかない。
椅子から立ち上がって、不二くんが座っている席の斜め前の椅子に座った。
今の私にはこれが精一杯。
そして、たぶんこれが私たちの今の距離。
椅子に腰を下ろした私を見て、不二くんが微笑みながら言った。
「ちょっと冷たいけど、気持ちいいでしょ?」
不二くんの言うとおり、少し冷たい風だったけど、それが気持ちよかった。
気が引き締まる感じがする。
息を吸うと、あの甘い香りが体の中に広がっていく。
「本当だね。金木犀の香りもするし、気持ちいい……」
自然と頬が緩んだ私を、不二くんはいつもと変わらない微笑みで見ていた。
また鼓動が速くなるのを感じて、少し俯いてしまう。
その間にも金木犀の香りは絶えず届いていて、少しずつ私の心を落ち着かせてくれた。
ゆっくりと顔をあげると、不二くんは窓の方を見ていた。
教室に入るのを躊躇った、あの時と同じように。
不二くんのさわさわと揺れる髪を見つめていると、心がゆったり柔らかくなっていく気がした。
初めてこの教室で会った時の感情が強くなっていく。
この空間を壊すのはやっぱり忍びなかったけど、伝えずにはいられなくなってしまって。
「不二くんって……、金木犀みたいな人だね。」
出来るだけこの空間を壊さないよう、静かに声にした。
不二くんは一拍置いて、ゆっくりとこちらを振り返った。
そして、少し困ったような笑顔で問いかけてきた。
「僕って、金木犀みたいなんだ?」
「うん。金木犀みたいに……なんだか優しい気持ちにしてくれる人。」
こんなことを言うのは少し気恥ずかしかったけれど、今しか伝えられないと思った。
予想していたような動揺はなく、落ち着いた気持ちで話せたことがちょっと不思議だった。
けれど、ちゃんと伝えられたことの方が、私には大切なことだから。
自然と笑みが零れる。
そんな私に不二くんは、あの柔らかい微笑みを返してくれた。
「ありがとう。そんな風に言われるとちょっと照れるけど、嬉しいな。」
あんまり照れてなさそうな顔で言う不二くんに、少し笑ってしまった。
それが、とても不二くんらしくて。
「でもね、」
続ける不二くんの言葉を待つ。
「僕にとっては、さんが金木犀みたいな人だよ。」
不二くんの思いがけない言葉に、咄嗟に声が出なかった。
ただ、どくん、と一度だけ、大きく鳴った鼓動を感じた。
「突然、僕の前に現れて、そのまま居座っちゃった。心の中に。」
言い終わった不二くんは、微笑みを少し深くした。
いつもなら、顔が赤くなって俯いてしまうところだけれど、
控えめに、けれど確かに届く金木犀の香りが、私の背筋を伸ばしてくれている。
不二くんの視線をちゃんと受け止められる。
新たに届いたその香りに不二くんも気付いたらしく、少しだけ窓の方へ意識を向けたようだった。
お互いに言葉もなく、ただ風に乗ってやってくる甘い香りに包まれている。
静かで、どこか優しい時間。
「金木犀ってさ、縁結びの木なのかな?」
不意に響いたのは、不二くんの声だった。
少し笑いながら問いかける不二くんに、私は曖昧な笑みで答えることしかできなかった。
「─────そうだといいな。」
不二くんは小さく呟きながら、窓の外に目を向ける。
そこからは、金木犀の甘い香りが絶え間なく届いていた。
Fin.
2011.10.9
背景素材:NEO HIMEISM様
─────あとがき─────
随分前に書いた不二さん夢『金木犀』の続編というか、おまけです。
プロットを書いてから執筆しようと試みて、見事に玉砕しました(笑)
結局、思いつくままに書いてしまった気がします…。実に私らしい。
でも、最後の方のシーンはプロット通り!と思いましたが、無理矢理ねじ込んだ感が否めませんねぇ。
前編(?)の『金木犀』を書いた時の雰囲気が、なかなか思い出せなくて苦労しました。
文章のタッチが違ってしまっているような…。まあ、仕方ない。
一人称の小説は難しいですねー。どうしても妙な説明口調になってしまう。
そして、金木犀の香りの描写を多々盛り込んでしまってすみません!
うざいくらい入れてしまってすみません……。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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